讃州臣真部盈永は、讃州刀工としての技倆は抜群であるが作刀数が少なく現存する一振づつが誠に貴重な資料となります。まず今後出てこないであろう名刀です。讃州(香川県)を郷土とするお客様にぜひ御持ちいただきたい御刀です。
脇差 讃州臣真部盈永 享和二年二月日 保存刀剣
Wakizashi [Sansyu-omi Manabe Mitsunaga] [N.B.T.H.K Hozon Token]
品番: SWA-090120
価格(Price): 売約済/Sold Out
(消費税込。10万円以上の商品は国内送料込)
品番: SWA-090120
Stock No.: SWA-090120
鑑定書: 保存刀剣鑑定書
Paper(Certificate): NBTHK Hozon Token
国・時代: 讃岐国・享和二年(1802)
Country(Kuni)/Period(Jidai): Sanuki(Kagawa), Edo period 1802
刃長 Blade length (Cutting edge) : | 59.2cm(一尺九寸五分) |
---|---|
反り Curve(SORI) : | 0.8cm |
元幅 Width at the hamachi(Moto-Haba) : | 3.06cm |
元鎬重 Thickness at the Moto-Kasane : | 0.68cm |
先幅 Wide at the Kissaki(Saki-Haba) : | 2.60cm |
先鎬重 Thickness at the Saki-Kasane : | 0.60cm |
茎 Sword tang(Nakago) : | 生ぶ、化粧筋違鑢目、目釘孔1個。 |
登録 Registration card : | 神奈川県 |
【解説】
讃州臣真部盈永は、銘を「讃州住盈永」などと切り、讃州高松に住しました。本名は真部久左衛門。師は大阪の尾崎源五右衛門助隆です。盈永は仏生山で生まれ、大阪に出て助隆に師事した後、仏生山に戻り作刀します。寛政8~9年に、讃岐高松藩8代藩主・松平頼儀の命で高松城西の丸で作刀し、その功で藩工に取り立てられました。
讃州臣工として中央に出ず、師助隆を凌駕する享和二年紀(1802)年、三年紀の作刀があります。藩財政、士風頽廃の影響を受け、真の讃州刀工としての技倆は抜群であるが作刀数が少なく現存する一振ずつが誠に貴重な資料となります。
讃州は現在の香川県です。香川県を郷土とするお客様にぜひ御持ちいただきたい御刀です。
本作体配は、刃長が一尺九寸五分と刀に迫る長さの長脇差で、身幅が広くごりっとした印象で如何にも頑丈そうな脇差です。地鉄は板目肌が詰んで地沸が付きます。刃紋は匂口が締まり小沸が付く、直刃が湾れる刃で、刃中は明るく冴えて、刃縁に砂流し等現れ働きます。帽子はそのまま小丸へ返ります。茎は生ぶで銘と年紀が刻されています。白鞘、銀着はばき、保存刀剣鑑定書。
讃州臣真部盈永は、銘を「讃州住盈永」などと切り、讃州高松に住しました。本名は真部久左衛門。師は大阪の尾崎源五右衛門助隆です。盈永は仏生山で生まれ、大阪に出て助隆に師事した後、仏生山に戻り作刀します。寛政8~9年に、讃岐高松藩8代藩主・松平頼儀の命で高松城西の丸で作刀し、その功で藩工に取り立てられました。
讃州臣工として中央に出ず、師助隆を凌駕する享和二年紀(1802)年、三年紀の作刀があります。藩財政、士風頽廃の影響を受け、真の讃州刀工としての技倆は抜群であるが作刀数が少なく現存する一振ずつが誠に貴重な資料となります。
讃州は現在の香川県です。香川県を郷土とするお客様にぜひ御持ちいただきたい御刀です。
本作体配は、刃長が一尺九寸五分と刀に迫る長さの長脇差で、身幅が広くごりっとした印象で如何にも頑丈そうな脇差です。地鉄は板目肌が詰んで地沸が付きます。刃紋は匂口が締まり小沸が付く、直刃が湾れる刃で、刃中は明るく冴えて、刃縁に砂流し等現れ働きます。帽子はそのまま小丸へ返ります。茎は生ぶで銘と年紀が刻されています。白鞘、銀着はばき、保存刀剣鑑定書。