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脇差 銘 國廣 山城国(京都)

弊社所蔵の「脇差 銘 國廣 山城国(京都)」が日本刀剣保存会発行の「刀剣と歴史 令和二年五月号」に掲載されましたので、以下に掲載致します。

「脇差 銘 國廣 山城国(京都)」
長さ一尺二寸三分、反り三分、元幅三・一センチ、先幅二・六センチ、元重ね六・五ミリ、先重ね三・五ミリ、中心長さ十一・三センチ。
彫物、表は毘沙門天に二筋樋、裏は蓮台に草の倶利伽羅。造り込みは、表は鵜の首造り、裏は平造り、棟は丸。鍛えは、板目に杢交じり、地沸が厚くつき地景が入る。
刃文は、小湾れに互の目交じり。帽子は、大きく湾れ込んで、小丸に返る。中心は生ぶ、刃上がり栗尻、鑢目は、大筋違。

 堀川国広は、元は九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落した後に鍛刀の技術を習得し、その後は各地に駐槌をして作刀したといわれている。慶長四年以降は、京都一条堀川に定住し、多くの優れた弟子を育成し、慶長十九年に没している。作風は、概ね二様に大別され、堀川定住以前の作(天正打)には、末相州風や末関風のものが見られる。定住後の作(慶長打)は、それらのものと作風を異にして、相州上工に範をとったものが多い。
 本作は、表を鵜の首造り、裏を平造りとし、身幅の割には、やや寸が延びて、先反りのついた造り込みとなる。また本作は、一般的な慶長打ちの作品に比べてやや異風な形状であるが、同作中の慶長四・五年頃と鑑せられる脇差に、これと殆ど同様な造り込みが見られる。刃文は、慶長打ちには稀な、小湾れに互の目が交じる刃文となる。焼刃は、良く沸づき、刃中には金筋・砂流し等が働き、匂口は沈みごころとなる。なお、区下より斜に水影が立ち上がって、国広の特徴がよく表れている。鍛えは、板目に杢を交えて肌立ち、いわゆる「ザングリ」とした堀川物独特の肌合いを見せる。刀身の表裏には、上手な彫刻が施されて見ごたえがある。挿し表の毘沙門天は、天部の仏神である四天王の一つで、国広および国広一門の彫刻には良く見られる。毘沙門天は、甲冑に身を固め、右手に宝棒あるいは戟、左手に宝塔を持つ姿で表されることが多いものであるが、同派の作刀に見る毘沙門天は、右手を腰にあて、左手に戟を携えているところが特色である。よって同派の毘沙門天は、京都宇治の三室戸寺に安置されている毘沙門天像に範をとったものであることが明白である。越前康継や、その他の作刀に見るものの多くは逆手で、一般的な毘沙門天となることを覚えておかれると良いと思う。
 本刀は、国広の一作風を示した、いわゆる「天正打」を想わせる覇気のある出来口で、彼の作域を知る上で貴重な資料である。製作時期は慶長五・六年頃かと想われる。

(刀遊亭極楽蜻蛉)
脇差 銘 國廣 山城国(京都) 刀剣と歴史 令和二年五月号掲載刀剣と歴史 令和2年5月号 表紙刀剣と歴史 令和2年5月号 裏表紙

《※本記事は、特定非営利活動法人 日本刀剣保存会が発行している「刀剣と歴史」の「令和二年五月号 ――第七五三号――」に掲載されたものです。》

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