刀 嘉永元戌申五月七十翁藤原直胤(花押) 備中国千屋太田政方以製鉄応其需(刻印・チヤ) 於同所作之 第62回重要刀剣 大慶直胤・相州伝
Katana [Fujiwara Naotane(Taikei Naotane)][N.B.T.H.K] Juyo Token
品番:KA-070622
価格 (price)御成約/sold out(JPY)
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鑑定書:Paper(Certificate): 第62回重要刀剣指定
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):武蔵国,東京(Musashi)・江戸時代後期 嘉永元年(Late Edo period 1848)
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刃長:Blade length(Cutting edge): 69.1cm(二尺二寸八分) 反り:Curve(SORI): 2.0cm 元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.15cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 0.73cm 先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.30cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.55cm
【重要刀剣図譜より】 形状 鎬造、三ツ棟、身幅広く元先の幅差まで目立たず、重ねやや厚く、平肉よくつき、反りやや深く、腰反り風となり、中鋒延びる。 鍛 板目肌ややつみ、地沸厚くつき、地景入る。 刃文 総じて焼き高く、互の目丁子・互の目・小のたれ・尖りごころの刃など交じり、足太く入り、葉交え、匂口深く、沸強くつき、まま叢づき、湯走り・飛焼さかんにかかって皆焼風となり、ほつれ・砂流し・金筋・沸筋目立って入り、上半は一段と働きが強く行草に焼崩れる。 帽子 直ぐ調にさかんに掃きかけ、表は火焔風となり、共に尖りごころに長く返る。 茎 生ぶ、先丸い栗尻、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔一、指裏目釘孔上に年紀を二行に切り分け、目釘孔下茎中央に太鏨やや大振りの長銘と花押があり、表は註文主と駐鎚地及び刻印を二行に切り分ける。
説明 直胤は、安永八年に出羽国山形に生まれ、本名を庄司(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)と称し、大慶と号した。文政四年五月には筑前大掾の受領銘があり、嘉永元年に上洛して美濃介に転じている。彼は若年の折に江戸に出て、水心子正秀の門に入り、後に、師と同様に秋元候に仕え、細川正義と共に水心子門下の逸材となった。水心子入門の時期については明らかでないが、彼が二十三歳の時の作刀に「庄司直胤 寛政十三年正月日」の銘があることから、これより二、三年前の寛政十、十一年頃と推定され、文化初年頃に独立したと考えられる。安政四年五月二十七日、七十九歳で歿している。
この刀は、身幅が広く、元先の幅差まで目立たず、重ね厚で平肉がよくつき、鋒も延びるなど、時代色をよく示した重厚な造込みであり、棟を三ツ棟とし、刃文は刃中や刃境の働きが平地全体に広がって皆焼風となり、沸づきが強く、処々叢づき、帽子もさかんに掃きかけ、火焔風になるなど、相伝色を色濃く表した豪壮な一口である。 本作は、美濃介受領直前と考えられる時期に京都よりさらに足を伸ばした地で作刀したもので、銘文にある太田政方は代々続く鉄山師であり、その父太田辰五郎政恭は豪農の篤志家としても知られ、飢餓救済の功労として代々の帯刀が免ぜられたと伝えられている。また、父政恭が直胤に註文した文政八年紀の刀が現存し、天保八年には直胤が備中千屋の太田政恭邸まで訪問して制作した刀が第三十回重要刀剣に指定されているなど、直胤と鉄山師太田家との緊密な関係が窺われ、本作も両者を結びつける重要な歴史資料のひとつといえ、直胤の動向を知る上でも頗る貴重な一品である。
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