寸延短刀 国広 第37回重要刀剣
Sunnobi Tanto[Kunihiro][N.B.T.H.K] Juyo Token
品番:TA-100718
価格 (price)参考商品・非売品(JPY)
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鑑定書:Paper(Certificate): 第37回重要刀剣指定
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai): 山城国,京都府(Yamashiro)・江戸時代初期 慶長五年頃(Early Edo period about 1600~)
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【重要刀剣図譜より】 法量 長さ三七・二五糎 反り〇・九糎 元幅二・九五 茎長さ一一・三 茎反りなし 形状 表鵜首造、裏平造、丸棟、身幅の割にやや寸延びて、重ね尋常、反りややつき、先反りつく。 鍛 板目に杢交じり、肌立ち、地沸つき、 地景入り、区下より斜に水影が立つ。 刃文 小のたれを主調に互の目交じり、沸よくつき、処々むら立ち、総体に細かに砂流しかかり、金筋入り、匂口沈みごころとなる。 帽子 表裏共浅くのたれて先丸く返る。 彫物 表上半に二筋樋を掻き流し、その下に毘沙門天、裏に草の倶利迦羅とその下に蓮台。 茎 生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一、指表目釘孔の下中央に大振りの二字銘がある。
説明 国広は、もと九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落したのち諸国を遍歴しつつ鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長四年以後は、京都一条堀川に定住し、多くのすぐれた子弟を育て、慶長十九年に歿したといわれる。彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作には末相州や末関風のものがみられ、定住後はそれらのものと作風を異にして相州上工に範をとったと思われるものが多い。 本作は、表を鵜首造、裏を平造とし、丸棟で、身幅の割にはやや寸が延びて、反りがつき、先反りのついた造込みで、慶長打一般のものに比べてやや異風な形状であるが、同作中の慶長四・五年頃と鑑せられる脇指にこれと殆ど同様な造込みが見られる。刃文は小のたれを主調に互の目が交じるなど、通常の慶長打にはあまり見られない刃取りであるが、板目に全を交えて肌立った、いわゆるザングリとした堀川物独特の肌合を見せ、区下より斜に水影が立ち、焼刃がよく沸づき処々むら立ち、金筋・砂流し等の働きも看取され、匂口が沈みごころとなるなどの点には国広の特徴がよくあらわれている。また刀身表裏に施された彫物は、流石に上手で見事である。表の毘沙門天は、四天王の一で、仏法を守護し、福徳施与を兼ねるものであるが、国広および国広一門には、まま見受けられるところである。同派の作刀に見る毘沙門天は、天正初期の国広の短刀のそれを除いては、その殆どが毘沙門鉾を左手に携えているところが特色であり、越前康継やその他に見るものの多くは逆である。同工の一作風を示した出来口であるが、造込みや彫物などには、むしろ天正打を想わせるものがあり、彼の作域を知る上で資料的にも貴重である。年紀はないが銘振りから鑑て、おそらく慶長五・六年の頃かと思われる。
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