刀 筑前守信秀 慶応二年六月日 第63回重要刀剣
Katana[Chikuzen-no-kami Nobuhide (Kurihara Nobuhide)][N.B.T.H.K] Juyo Token
品番:KA-040320 |
鑑定書:Paper(Certificate): 第63回重要刀剣指定
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):武蔵国,東京都(Musashi)・江戸時代後期 慶応二年(Late Edo period 1866) |
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刃長:Blade length(Cutting edge): 72.6cm(二尺三寸九分)反り:Curve(SORI): 1.75cm 形状 鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、鎬地を卸して鎬高く、重ね薄め、反り浅くつき、大鋒。 鍛 板目肌つみ、やや肌目が立ち、地沸厚くつき、地景よく入る。 刃文 丁子・互の目丁子・互の目など交じり、処々尖りごころの刃・角がかる刃を交え、足太く長く入り、匂口やや深く、沸よくつき、下半処々小さな飛焼を見せ、上半金筋・砂流し長くかかり、匂口明るい。 帽子 乱れ込み、小さな飛焼かかり、先尖って尋常に返る。 茎 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一、表第一目釘孔より一字上げて棟寄りに細鏨の受領銘があり、裏は一字半上げて鎬筋を中心に年紀がある。 説明 栗原信秀は、文化十二年、越後国西蒲原郡月潟村に生まれた。文政十二年、京都へ上り鏡師となったが、嘉永初年江戸に出て清麿の門下に入り刀鍛冶となった。現存する信秀の作刀で最も時代の遡るものは嘉永五年紀であることから、実際に師事した期間は短かったものと思われ、独立して間もない嘉永六年には、相模国浦賀で作刀した所謂「浦賀打」が遺存する。元治元年七月、第一回長州征伐が行われ、彼は幕命を受け大坂に赴き兵器補給の役を務めている。大坂での作刀は、元治元年八月より慶応三年正月までの約二年半に亘り、慶応元年五月には筑前守を受領している。後に江戸へ戻り、さらに明治八年、越後三条に帰り、同十年には弥彦神社の御神鏡の制作を行っている。明治十三年一月二十五日、 東京本郷元町の養子信親宅に於て、六十六歳で歿している。彼の技倆は清麿一門中最も卓越しており、師清麿に迫る出来映えのものがある。 この刀は、身幅が広く元先の幅差はあまり目立たず、反りが浅く大鋒に結ぶなど新々刀期の特色を有す刀姿を呈しているが、鎬地を卸し鎬 高くして重ねが薄めとなり、大鋒もフクラを敢えて枯らすなど総体に鋭しい造込みに清麿門下としての特色がよく示されている。鍛えは板目に地沸が厚くつき、地景がよく入って肌目が立ち、刃文は互の目・互の目丁子・丁子などが交じり、足は太く長く入り、匂深で沸がよくつき、刃中の金筋・砂流しは長くかかり、中でも角がかる刃や尖りごころの刃を交え、大きな互の目の頭が小さな乱れに分かれる態を見せるなど信秀の手癖も表れている。また、帽子が道中の勢いそのままに乱れ込み、先が尖って返る様は覇気があり、大鋒の鋭しい姿や地刃の豊富な変化と併せて本作の迫力をより高らしめている。 |
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