脇差 水心子正秀 寛政九年二月 新々刀最上作 保存刀剣 日本刀剣保存会鑑定書
Wakizashi[Suishinshi Masahide] [N.T.H.K] Nihon Touken Hozonkai
品番:WA-061012 |
鑑定書:Paper(Certificate): 日本刀剣保存会鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai): 武蔵国(Musashi) 江戸時代後期、寛政九年(Edo era 1797年) |
刃長:Blade length(Cutting edge): 41.0cm(一尺三寸五分四厘)反り:Curve(SORI): 0.65cm |
【解説】正秀は寛延三年出羽国の生まれ。明和八年、二十二歳の時に武州下原吉英門となり、初期には宅英、英國と銘を切りました。その後、安永三年に故郷の藩主である出羽国秋元家に仕官し、川部儀八郎正秀から、水心子正秀と銘を改め、文政元年にはさらに天秀と銘しました。水心子正秀は新々刀の生みの親とも言われている先駆者で、鍛刀技術の革新に尽力し、旧来の鍛刀法を一変する復古鍛錬法を提唱しました。彼は自らも名匠とうたわれて、その正秀の主張に賛同した刀工が全国各地から集まるようになりました。大親分的性格に加え、刀剣学者でもありました正秀は、大慶直胤、細川正義、長運斎綱俊らをはじめ百余名にも及ぶ刀匠を養成しました。現代刀工にも、水心子の流れを汲む流派が少なくないようです。特に初期作には、大阪物の写しを得意とした津田越前守助廣の濤瀾刃を焼いたものに名作があります。水心子正秀の刀は勝海舟が愛刀としていたことでも有名です。正秀は自著に生涯の作刀369口と書いており。現存確認ができている刀が100振ほどであることなどから本刀も脇差ながら貴重な遺作であると言えます。 ●現存する水心子のほぼ九割近くは備前伝のもので、出来が良くないものも多い中、本作は大阪新刀の上手を模した作であり出来映えも上々、希少な優品であることを申し添えます。 |
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