脇差 川部儀八郎藤原正秀(花押) 文化九年八月日 附 研出鮫鞘脇差拵 特別保存刀剣鑑定書
Wakizashi [Kawabe Gihachiro Masahide (Suishinshi Masahide) ] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
品番:WA-120121 |
鑑定書:Paper(Certificate): 特別保存刀剣鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai): 武蔵国,東京都(Musashi) 江戸時代後期 文化九年(Late Edo period 1812) |
刃長:Blade length(Cutting edge): 41.6cm(一尺三寸七分半)反り:Curve(SORI): 0.8cm |
【解説】正秀は寛延三年出羽国の生まれ。明和八年、二十二歳の時に武州下原吉英門となり、初期には宅英、英國と銘を切りました。その後、安永三年に故郷の藩主である出羽国秋元家に仕官し、川部儀八郎正秀から、水心子正秀と銘を改め、文政元年にはさらに天秀と銘しました。正秀は新々刀の生みの親とも言われている先駆者で、鍛刀技術の革新に尽力し、旧来の鍛刀法を一変する復古鍛錬法を提唱しました。彼は自らも名匠とうたわれて、その正秀の主張に賛同した刀工が全国各地から集まるようになりました。大親分的性格に加え、刀剣学者でもありました正秀は、大慶直胤、細川正義、長運斎綱俊らをはじめ百余名にも及ぶ刀匠を養成しました。現代刀工にも、正秀の流れを汲む流派が少なくないようです。特に初期作には、大阪物の写しを得意とした津田越前守助廣を写した名作があります。正秀の刀は勝海舟が愛刀としていたことでも有名です。正秀は自著に生涯の作刀369口と書いており。現存確認ができている刀が100振ほどであることなどから本刀も脇差ながら、正秀の特色と高度な技量を十分に示した作であるということもあり、貴重な遺作であると言えます。 |
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